このブログの始まり

有吉さんのページ(TSUKASA ARIYOSHI)で、僕との出会いに関して有吉さんが語ってくれている。
そこで僕の「何よりお客様に映画を届けることが重要」という感覚について書かれてあるが、最初からそういった感覚が僕の中にあったとは言えないだろう。むしろ、『愛してよ』という作品の配給宣伝に関わることによって(普通は監督がその領域まで踏み込んでいくことはないのだが、そのときは「コンパクト」な映画であったこともあり、何故か有吉さんに言われるままに僕は毎回宣伝会議に出席していた)、有吉さんからそれを学んだということだと思う。

そしてその「感覚」こそが映画にとってとても大切なものであり、学生たちにもっとも欠けているものであると思えたので、有吉さんをこの学科に誘った。

そのときに話し合ったのは、ここでただ「今の配給宣伝のノウハウを教える」のではなく、学生たちとある種の試行錯誤を繰り返しながらこの先につながっていく「新しい配給宣伝の形を見い出していく」ことができないだろうかということだった。
そのためになら自分が学校に行く意味があるだろうと有吉さんは言った。挑戦したいと。

北白川派作品『MADE IN JAPAN こらッ!』『カミハテ商店』さらに『彌勒』と、そのチャレンジは続く。

『正しく生きる』での新たなチャレンジのひとつがこのブログだ。

シナリオ改訂の経過すらも含め、製作過程をオープンにしていく。
そのことが引き起こす反応をさらに映画の内容或いは配給宣伝の中に反映できないだろうか…制作ノート的なことを同時進行で書き込んでいくブログは過去にもあったがシナリオまでオープンにした映画はなかったんじゃないか…撮影前に映画館からの書き込みがあったりすると面白い…。
それがホントにそんなに新しいことなのかと言えばさほどのことでもないのかもしれない。ただ、やったことがないことはやってみなければどうなるのかどうなのかなんて誰にも何もわからない。
そしてこのブログが、いまそこまで機能しているとは言えないのも確かだ。

でも我々のトライはそこに、何か少しでも新しい形を発見することへと向かっていく。

また伴明に怒られる!…で、まもなく年が明け…

年末は28日で学校が一斉閉館するため、基本的に27日で全体の動きはともかくひと段落となる。

で、全体ミーティング後に伴明さん率いる制作部と、演出部とで飯を食う。

帰り際に伴明さんから「もう一軒付き合え」と呼ばれそこから二人きり。

お前は学生の前で「迷い」を見せすぎる、と怒られる。
いや僕は監督として「迷ってるふり」をしてみんなに考えさせるというそもそもスタイルなので、と、とりあえずボケてみる。
プロ相手ではそんな手もあるが学生にはそれは通用しない北白川派はそんなことではない、と即座に突っ込まれる。
ですよね、と即座に答える。
オレだって生まれて初めて制作部やってんだよ、なんのためにやってると思ってんだよふざけんなよ、と即座に返される。
ですよね、と答えるのに少し時間がかかる。

監督としては迷いはないのだが教員としては未だ戸惑いが自分の中に存在しているのかも。

…って、いかん!
いかんいかん!

いや、ちょっとまだ戸惑ってるかもしんないけど、迷ってはないです。
いや、もはや戸惑ってもないです、この時期に至って。はい。

もうホントにまもなく年が明ける。

でも伴明さんと制作部は今日も京都で動いている。
演出部からも「改訂稿=改定案」や「漫才の台本」や「資料」が送られてくる。
演出部や制作部だけじゃなく他の学生たちもみんなどこかで何かを考えている(…多分)。

とにかく全員でこの映画を創り上げる。

オーディション~リハーサル

学科内俳優コースの「オーディション」を終え、女子に関しては3つの主要な役で3人を残し、男子については同じく主要な3つの役で6人に残ってもらって、言わば「勝ち抜け」の形で「リハーサル」を行っている。

女子3人には一応それぞれに想定された配役はあるのだが、リハーサルの中では互いに別の役も演じてみる。
さらに子役=「遥」のオーディションにも、「母親」役を演じながら3人が付き合う。
そのことによってより深く立体的にそれぞれの役を感じ考えることができるのではないか、という狙い。
同時に各々の人物設定についての検証を繰り返す。

男子はとにかく入れ代わり立ち代わり組み合わせを替えながら3つの役を演じ、漫才の組み合わせや「ボケ」「ツッコミ」の役割すらも入れ替えながらの「リハーサル」である。
これも、いろんな役=人物設定をシナリオから読み取り自分自身でいかに強固にイメージするかの練習のつもりであり、自分の決まった役だけでなくすべての人物について考えていくこと(それを演技として提示してみること)で「一緒にこの映画を創り上げていく」ということに対する意識をもってもらうため、なのだが…。
しかし男子にとっては逆に、こんなやり方に「オーディション」の続きという感覚が拭えず、役者として「対抗者を蹴落とす」べきなのか或いは次々に代わっていく相手役に対応しながらどこまで自分の役を(自分の考えたように)演じ切ることができるのか…といったようなことに戸惑いと不安と、不満が溜まってくる…。実際にみんな、軸を失って「ブレて」しまう。

どんな状況でも思いっきり演じてみろと思う。
そんな中でいかに柔軟に対応し自分の表現ができるのかを探ってほしい、タフになって欲しい、と思う。

でも、「学生に不安と不満が溜まっている」のなら、「教員」としてはそれを解消せねばならない。
今まで僕はプロの若手俳優を相手に同じようなスタイルで何度かやってきた。
だがいま、彼らはプロではない。
僕もやり方を変えねばならない。

北白川派の「ムツカシイ」ところ。
同時に「面白い」ところ。

こういう状況をうまく生かしながら、彼らの魅力を引き出し、映画の中で輝かせなければいけない。

柳田は何をしようとしたのか

先週金曜日、「柳田の制作物」に関する打ち合わせで、大学の中の映画学科ではないアート系プロジェクトチームとのミーティングに行ってきた。演出部の麻野たちを伴い、学生が考えたイメージを伝えて、今後の現実的な作業を相談するためだ。撮影するにはその「制作物(オブジェ)」が実際にないと困るわけであり、ではその「柳田の作っている制作物」はいったいどういうものであり、現実的に誰がどういうふうに撮影に間に合わせて用意するのか…。こういうひとつひとつが「北白川派」では、プロである僕たちのイメージやスピードだけではなく学生の考えや時間を取り込みながらの創作になっていく。
で、そこは、世界的なアーティストのYさんが中心になっているプロジェクトチーム(ファクトリー)であり、打ち合わせに行くのは今回が3回目、Yさんとお話しするのは2回目となる。

今回の映画の中では「柳田」の作っている「オブジェ」が非常に大きな意味を持つ。
なおかつ、映画の中においてそういった美術的な制作物、或いは音楽=演奏シーンなどの「芸術的表現」を具体的に扱うのはとても難しい。
その創作物や演奏が一定の、或いは設定に違わぬ表現レベルに達していない場合、映画全体の説得力が全て崩れ去っていくことになる。
僕は今回の映画を企画する段階から、実はなんとかYさんの協力を取り付けられないだろうかと考えていた。

ただ、Yさんはアーティストとして、「柳田」の「破壊」とは言わば真逆の方向で行動されている。
僕自身は以前からYさんの表現・行動には大きな興味と深いリスペクトを感じていた。しかしそんな僕自身の思いと、今回の企画に対する協力依頼がYさんに理解されることとは全く別のことであり…と言うか、送ったシナリオ(第2稿)を読んで頂いた段階で協力を断られるのではないだろうかと思っていた。

1回目の打ち合わせのときに僕はその危惧を正直にYさんに伝えた。
Yさんからは、個人的な名前は出さずプロジェクトチームとしての協力をする、というお答えだった。
そしてやはり、「柳田はいったい何をしようとしているのか。彼の意図は何であり、具体的にどう行動しようとしているのか」を問われた。

第3稿を読んでいただいた上での今回のミーティングでも再度それを問われた。

柳田は、いったい、何をしようとしたのか

僕の答はここには書かない。
学生と一緒に、さらに検証していかねばならない。

さらに今回、柳田がつくっている「最後の作品」(放射性物質)についての取材、裏付けの甘さを指摘される。
それがしっかりしていなくてはどんなものを作るのかイメージできないし、中途半端なものを制作し見せた瞬間にこの映画の世界が全て壊れてしまう…そして福岡監督は大批判を浴び火だるまになるでしょう…(笑)…と。
僕は火だるまでもいいのだがこういった問題に関してリサーチが甘いまま表現してしまうと社会的に傷つけなくても良い人々を傷つけてしまうことにもなる、と僕が学生に言うと、Yさんが脇から、表現するということは必ず誰かを傷つけることになるのです、と仰った。
それこそ僕がいつも学生たちに言っていることであるのだが…。
今回の北白川派においてこういう厳しいモチーフを設定しそこまで学生に強いていることに、また少し逡巡する。
いや違う。迷いは最早ないのだが。
僕は僕にかかる火の粉が彼らにも及ぶことだけは避けねばならない。彼らを守らねばならない。
…そのためには、やはり充分すぎるほどのリサーチをして、立体的な強い映画にすること。

Yさんも、そのプロジェクトチームのチーフであるMさんもやはり表現者としてすごくしっかりとシナリオを読み込んでくださっていて、様々に具体的かつ刺激的なアドバイスを提供してくれる。なおかつ「学生とともに作り上げていく」という北白川派の意図を理解して、そこを大事にしてくれる。丁寧に学生の考えに向き合って、時間をかけてくれる。感謝、である。
或いは正直なところでは、「学生と一緒に」という部分がなければ、Yさんはきっとこの映画に協力はしてくれなかったのだろうと僕は想像している(そのチーム=ファクトリー自体が、北白川派と同じようなポリシーで運営されている)。そのことが北白川派の学生たちに伝わっているか。もう一度あらためて僕から伝えねばならないのだろう…。

1回目の打ち合わせで「柳田」の個人史が広がってきた。そこからさらに発展深化させるのはこちらの責任においてやらねばならないこと。
今回の打ち合わせで「柳田のオブジェ」が具体的に見えてきた。

いろんな人を巻き込みながら映画は進んでいく。
前に。前に。
引き返すことはできない。

キッチン泥船

編集の歓ちゃんが京都に居を構えた。
実は彼は十数年前、黒沢清、廣木隆一、若松孝二など当時最先端の幾多の監督たちからオファーを受け続け映画編集者としての絶頂を迎えるかと思われた瞬間に映画界からいきなり姿を消した「幻の天才編集者」であって。

でもそれとは関係なく、とてもプロ級に料理が上手く。
で、ある理由があって彼の新居は「キッチン泥船」という名前になり(別名を「カン亭」というがそれはそれでなんだか語呂がすごくエラそうなので誰もあえて使わない)。

今日は彼の引っ越し祝いということで、有吉、堰、福岡というロクでもないオヤジたちが集まって呑む。歓ちゃんの料理はやっぱり最高。

でもそこで交わされる話題は『正しく生きる』について。
やはり第3稿ではスピードアップしたぶん「桜」が甘くなっている…登場人物たちの生活感が消えている…この映画はどこに向かうべきなのか…堰やんが指導している漫才が成立し過ぎると「リアリティ」がなくなるのではないか…いやそうではなくてやはり完璧に「笑える」ストリート漫才として成立できるはずだ…いややっぱりキッチン泥船のメニューには鍋があるべきだ…俺はいろんな奴が「共有」する鍋の存在が許せないのだ…ちあきなおみは世界最高であり眠る前には彼女の英語版の歌を聴くべきなのだ…。
って全然『正しく生きる』とは関係ないじゃん。

料理は最高。ご馳走さま。
毎週来よう。キッチン泥船。
北白川派隠れスタッフルーム。
或いはどうしようもないいつかの夢の泥船。ごめんね歓ちゃん。

ともあれ、出航なんだね。

今回のモチーフのこと

「被災」「放射性物質」「被曝」「虐待」「レイプ」「HIV」…多くの「死」…繰り返される「暴力」…。
今回の映画では、非常に厳しいモチーフが並ぶ。ある意味では、触れ方を間違えるとすぐにでも「不適切な表現である」ということになるし、なにより、そういったことに現実として向き合っている多くの人々をひどく傷つけることになってしまう大きな危険性を孕んでいる。
そして、だからそのようなモチーフに向き合うには最大限の慎重さと繊細さを保持し続けねばならないし、同時にとても強いストレスを抱えざるを得ないということになる。
そんなモチーフを、僕はあえて用意したということになる。

ひとつひとつの問題についてリサーチを重ねていく学生たちはそのストレスに耐えられなくなる瞬間がある。
ほとんど泣きながら、取材した結果或いは自分自身の体験を報告してくれるケースがある。

耐えて欲しいと思う。
逃げずにさらにそこに向かい合って欲しいと願う。
そしてあなたが感じたことをこの映画の中に表現していくことをして欲しい。
そうしないとこの映画のモチーフは全て無駄な、「不適切な」ものになってしまう。

どんなことがあってもそれでもあなたは生きている。
どんなことがあってもそれでも彼らは生きている。
みんな生きようとしている。
生きようと、切実に、願う。

その先に虹が出るのだと思う。
きっと。

そして、そういったモチーフを表現することの全ての責任は、監督である僕が負わねばならない。

命のこと 僕は映画で何ができるのかということ

いま公開中の北白川派『カミハテ商店』(山本起也監督)の配給宣伝学生チームが、劇場(京都シネマ)で、観客に「あなたは死のうとしている人をとめますか」というアンケートを配布している。
そのアンケートに対する答えを学生の一人がまとめてくれたものを読んだ。
さまざまな人が、さまざまに、命についての考えを、他者とのかかわりについての考えを、持っている。
当然のことだが。

今回の北白川派でもやはり「命」或いは「死」の問題は大きい。

これまでも考え続けてきたのだがさらに考える。考え続ける。

「死」は絶望なのか。
では希望とはなんなのか。

「映画はやっぱり最終的には明るい希望的なもので終わらないとね」…と、よく言われる。

我々は映画で果たして希望を描くことなどできるのだろうか。
僕は誰かに希望を見せてあげることなどできるのだろうか。

希望は、映画を観た人の中に生まれてくるものでしかない。

ここのところとても死が身近なものになっている。
死はもうそこにいて、いつこちらを向かれ目が合ってしまうのかと怯える。
夜中にその気配を感じて目覚めてしまうことがあり、そうするともう眠れない。
街を歩いていて世界の終わりを感じることがあり、急に立ち竦んで身体の震えがいつまでも止まらない。
僕は映画の中で死を描く或いは予感させることで何を確かめようとしているのだろうか。
いや、決して死の何かではなく、生きることの何かを確かめたいのだが。
いや…。

僕たちは「愛」を確かめたくてしょうがない。
愛を確かめないと生きていられない。
「私は果たして誰かに愛されているのか」
愛は希望なのか。愛は幻なのか。愛は絶望なのか。

僕は映画で何ができるのか。
いや、「できる」などと考えること自体がとても不遜なことであるのに違いない。

(アンケートの内容は、近々『カミハテ商店』のHPにアップされます。)

堰やんから電話が来る

たったいま堰さんから電話。
「あのな、なんでもええから早くメールしてくるように学生に言っといて」

先週土曜のミーティングの時に、学生から「書いたネタ」を堰さんにメールで送るということになっていた。

「オチまで全部完璧に書こうとしたら絶対途中で迷って落ち込んで書かれへんようになってしまう。なんでもええからとにかく送ってこいって。そこからまた考えたらええから」

さすがに子どもたちのことは良くわかってらっしゃる。
さらに、若手芸人の出演しているコヤへの見学まで予定を組んでくれるそうだ…。
「年内にそういうの見たほうがええと思うんや。それで正月の宿題にしてな」
…って、そのとおりでございます。
ありがとう。すぐにメーリスで学生たちに伝える。

で、これで堰やんノーギャラ?

それはさすがにマズイか。
いや…予算はないし…どうなのよ。

「いや~この間は最後別れ際に二人とも泣いとったのがおもろかったな~。あははははは」
って…オレこの間堰やんと呑んだときに泣いたんだ。
なんで?
どうして?

堰やんが助けに来る

今回の映画の中で主人公の少年たちが漫才をする。

しかも狙いとしては「少年院」「放射能」「原発」などをモチーフとしたい。

そんなことが許されるのか。

そしてそんなネタを誰かが充分に笑える漫才として台本化してくれるのか。

学生もそんな迷いを抱えながら取材を続け、同時に各方面に協力を依頼したりしてたのだが、案の定ハードルは高く…。

ってところで、一人のスーパーヘルパーが声をかけてくれた。「オレが助けたろか」。

堰守。通称堰やん(…って通称でもなんでもないね、名前まんまじゃん)。

大ムカシ、僕が井筒和幸監督の『ガキ帝国』に助監督としてついたときに「制作主任」をしてた、目つきの悪いおっさん。

大阪在住の人なのでそれ以来さして付き合いはなかったのだが、今年に入って新たな付き合いが始まっていた。

「福岡さ、オレドキュメンタリー撮ったんだけど、この後どうすればいいのかわかんないから、手伝ってくんない?」

編集の歓ちゃんを紹介し、ポストプロを組み立てた。(まあ、そのくらいのことしかできなかったんだけど)

で、『REPAIR 修理する人』という、僕も大好きな映画ができあがった。(これはそのうち皆さんにも観てもらえる機会を作りたいとホント思ってるんですけどね)

その堰やんは、某大手予備校で、不登校の子供たちのためのクラスを長年担当したりしながら、何故か今は某超大手お笑い会社の中枢にいる。(不思議なヒトだ)

しかもムカシはお笑いの構成台本を書き自分で演出をしていた。

「ほかのヤツには無理やろ。そんなネタで考えられるようなヤツはおらんで。オレが助けたる」

ああ、なんて人相の悪い天使なんだ…。

ということで、先週末に高原に登場。

学生とかなり具体的に話し合う。学生の目の前で僕と二人で漫才をする。…みたいなことで、ようやく少し、漫才のことが動き出す。また必要なときは呼んでな、いつでも来るからな…と学生たちに言い残し。

で、結局その日も呑む。しこたま。

で、結局堰やんにおごってもらった。

…ありがとう。ごめんね。

 

どうしてだ!

やってもやっても、やらねばならないことが次から次に湧き溢れてくる。

時間がない。

アタマと気持ちがついていかない。

ここのところ全く映画を観ることができてない。

FILMEXのパスも貰ったのに結局一本も観ることができないままだった。

ストレスがちょー溜まっている。なんだこれは。

どうしてだ!どうしてこんなにいろいろやらなきゃならないんだ。

…って、まあ仕方ないのだね。年も年だしね。

やるしかないんだからやらなきゃダメなのね。

第3稿

先週28日、締切日の深夜、第3稿をアップ。

この方向で本当に良いのか。面白くなっているのか。

或いは、完成尺や無駄のない撮影(予算がないので)を考えてさらに短くするためには、登場人物をオミットする、キャラクターを統合するなどの大きな手術が必要。

それを判断しなくてはいけない。

シナリオの改訂においては、実は今が一番苦しい…。

たーすけてー!

って、言えない…。監督は…。

それでも、第3稿を読んだ林海象氏(北白川派4作目『彌勒』監督)が、とても具体的なアイデアの提示をしてくれる。

ありがたい。ホントに。

でもね。学生から来て欲しいんだよね。

そういう提案が。

そういうふうに、なんとか持っていかなきゃ…。

ロケハンとか若松孝二のこととか

って言っても、例えば伴明さんと二人だけのロケハンなんかが多かったりして。
スタッフの学生たちはなかなかに北白川派以外のことで忙しかったり…今日もひとり自分のゼミの悩みで相談にきたりしたけど…みんなたいへんなのね。

オーディションも3回目が先週あり、でも参加者が少なく。
ウチの学科の俳優コースに向けてのオーディションなわけでそこに参加者が少ないっつーのはボク自身がいかに人気がないかということが自覚され(笑)。あ、笑ってられない。

というかここのところずっと学科業務が大変でボクも人のこと忙しいとか言ってられないわけで。昨日は徹夜で書類を書き上げ。というかそれは今月アタマが提出締め切りの書類で、ウチの学科だけ未提出で、さすがに今日の昼までに出さないと今日夕方からの代表教授会ってもので学科長の伴明さんがえらい目に会うと…いじめられちゃうと…必死ですわ。

そんなこんなででも北白川派第3稿を来週半ばまでにあげるのもミッションで。日々伴明さんとか浅利ちゃんとかに有形無形いろんなプレッシャーをかけられ。

というか書類も第3稿も、計画的にやれば問題ないのねきっと。でも計画的っていうのが苦手なんですよ。ああそうですよ。

そんなこんなの合間に、「文藝」って文芸誌で若松孝二の特集号を出すらしく、足立正生大先輩が責任編集で、各年代の若松プロ出身者がそれぞれに揃って座談会をするという企画があり。
ボクは事情があってその座談会に遅れ…駆けつけたときには全て終わっていて諸先輩を前に大先輩足立さんがタバコを喫っており…「福岡さ、なんかちょっと文章で書いてくれる。若ちゃんについて。難しく考えなくていいから」「はい」…書きました速攻で。

で、書いたものをここにオープンします。
ってそれはいいのか?
まだ文藝は出てないぞ。
まあいいか…。

っていうかこれって「添付」とかどうすればいいのかわからないから。

まあいいか…。

→原稿「若松孝二とのこと」福岡芳穂

高橋伴明!

伴明さん(北白川派2作目『MADE IN JAPAN こらッ!』監督)は今年の北白川派では「担当教員」ではないのに、「制作部の一員」として参加してくれている。
プロ的に言えば「制作担当」というポジション。

伴明さんは、先月亡くなった若松孝二とともに、映画における僕の師匠である。
映画のことを何も知らずに35、6年前に(ああ、なんてムカシなのだ)若松プロに入り、映画の全てを教わった。映画のことだけじゃなく…全てを教わった。今も。

その人が今年度の北白川派始動の時に、「俺が助監督をやる」と言い出した。

嬉しいんですよ…嬉しいんだけど、でも…それってさ…

いろんなことを言って制作部に回ってもらった。

それでも僕が書いた第1稿に対して、とても挑発的な「伴明稿」を書いてきた。

その後は完璧に制作部に徹し、「死神」として僕にプレッシャーをかける。

その存在がとても頼もしいしありがたいし学生にとっても素晴らしく力になるし悪いことは何もないんです…ないんだけどね…怖いのね(笑)

緩やかに・・・

第2稿最終締め切りの5日、深夜0時3分に(だから正確には6日だね)、「制作部の死神より」という署名で伴明さんからのメール。
『監督、0時を回りましたぜ』
あまりの恐怖に慌てて第2稿をGmailにアップ(もう少しだけ直したかったのに)。深夜だがメーリスでそのことをメンバー全員にアナウンス。遅くなってごめんね。
って、謝りっぱなしじゃん。

それをもとに9日の授業で、東京から久しぶりにやってきた助監督の浅利氏の仕切りによってアタマから整理していく。
シーン毎に制作的美術的な確認、リサーチしきれていない課題の洗い出し…など。
ラインプロデューサーの小川勝弘氏も参加。もちろん「制作部の死神」も。
第3稿改訂に向けてのポイントも具体的に見えてきたりして。

で、翌10日朝からは、ついにオーデションが始まった。
映画学科の学生たちなので、「選抜して落とす」という選考オーディションではなく、それぞれの面白いところを見つけるための時間にしたいのだが…。

さらにその合間を縫って「死神」ご推奨の場所をロケハン。
「柳田の家」…その近くで「バスが急停車する場所」…。

ああ、なんだかかなり緩やかだけど…始まってしまったよ~、という感じが…。

同じ10日、東京ユーロスペースでは、北白川派3作目『カミハテ商店』(山本起也監督)の公開初日。

11月2日北白川派授業

授業冒頭で先月末の期日までに第2稿が書き上げられなかったことを謝罪。

授業後学科の書類を書き、雨中チャリを飛ばして、4回生のケイコ、ジュンと編集の鈴木歓ちゃんと「田」で呑む。
「DQN」について。ありえない服装について。「卒制」の状況。ふたりのこれからなどなど。
ん? 「ふたり」って誰? ケイコとジュン? 歓とオレ?