明日はどっちだ

撮影監督の小川さんが昨日「ヤバ傷」を負ってしまった(SHINJI OGAWA)…。
もちろんその恐い顔でどこかに出演してもらいます!

伴明さんが体調不良で今朝病院に行ったら「原因はストレスと過労」と診断されてしまった…。
お願いだから少し休んでください! ってかすみません全部ボクのせいです!

助監督の浅利ちゃんが持病の血圧が上がり今朝はさすがにヤバい状態だった…。
食事に気をつけてください! ってかそれも原因はストレス!?

監督が今日もまだ決定稿を上げられないままだった…。
どうすんだよ!!

それでも今日、「未夢」が働いているシーン(決定稿で新たに追加)の取材で、制作部のあさひが探してくれた近所のデイケア介護の施設に学生と一緒に行き、そこのオーナー所長さんに話を聞くことができて…その方が人間的にとてもとても素晴らしい方で…。
「正しく生きる」ということはどういうことかを本当にあらためて見せつけられ。
「未夢」役を演じるみずきもひとつ吹っ切れたようだし、「人物設定」を話し合った今晩のキャスト&演出部のミーティングでは「朝雄」や「優樹」もかなり輪郭を掴めたようで。

早くお祓いに行こうよ的な状況もありつつ感動的な出会いもありつつ…とかなんとか言いながら、ついに明日から「衣小合わせ」が始まるわけで。
昨日も今日もホントに遅くまで衣裳担当の辻野さん始め学生たちは働きづめで…。
申し訳ない!

ってことで。
明日はどっちだ!

学生スタッフ増える!

年末くらいから、いつのまにか学生スタッフが増えてきている。

リハーサルやミーティングのたびに「今日から参加です、よろしくお願いしまーす」なんてゆーことがあり、しかも全員がいかにも前から参加してたようにどんどん動いてくれている。

うれしいよね。
みんなありがとう!

スタッフは減っていくより増えていったほうがいいし、少しでもこの映画にひとりひとりが自分の何かを反映して欲しいし、そしてひとりひとりが何かを得て欲しいし。

あとは決定稿が早くできあがればね。
って、オレか…。

スタイリング

「CLASS ROOM」で、ぴーこが、今回の映画の衣裳を担当してくださる辻野さんのことを書いてくれている。

辻野さんは前回の北白川派『彌勒』(林海象監督)でも衣裳をやって頂いた。
で今回もお願いしたのだが、あまりにも予算がないので、基本的には外部キャストのものだけをお願いした。
だがご本人から、「全部やりますよ。映画だから、どこかで手を抜いてるように見られちゃダメです」と仰っていただき…。

「柳田」の衣裳は素晴らしい生地を使っての「仕立て」となる。…「いやぁ、知り合いのテーラーがいて…」。
「防護服」は本物が手に入った。…「いやぁ、知り合いにホントのところに納入してる業者がいて…」。

…辻野さんってどんな人なんだ!

リハーサルにも付き合い、映画の内容にも深く関わってくれる。
こういう人のスタイリングがあって初めて映画が映画らしく生まれていく。

深く深く感謝!!

よろしくお願い致します!

教員も

水上さんがロケハンの写真をアップしてくれている。

このロケハンには水上さんも伴明さんも一緒で、水上さんは自分の車を出してずっと運転してくれ、さらにこういった写真を撮ってブログにアップし…ではこのとき伴明さんは何をしていたかと言うと…写真に映っている我々の視線の先、道路にかかる陸橋の上で、寒い中じっと「スタンドイン」として立ってくれていたのだ…。

ロケハンから高原に戻ると海象さんが現場のケータリングの段取りを進めてくれている。
学生だけでなく、教員も全員参加の北白川派。
強靭な映画にならざるを得ないシステムなのである。

学生キャスト決定

先週10日のリハーサル後に、学生キャストの最終決定が行われた。
前にも書いたが、ことに男子のキャストには最後まで「セレクション」の意味合いがあったので、本人たちはつらかったと思う。
それでも決定しなければならない。
オーディションからリハーサルへとずっと付き合ってきた演出部の学生たちからもいろんな意見が出る。
そのあとの教員同士でのミーティングでもさまざまな検討がなされた。

で、11日のオールスタッフミーティングで発表。
すぐに、「選ばれなかった」学生たちに集まってもらい、話をする。
誤解を恐れずに言えば、「選ばれた人たち」より「選ばれなかった人たち」のほうが大事なのだ。
その役に選ばれなかったからと言って、彼らとここで「さよなら」というわけではない。
オーディションから含めて、参加する意志を持ってくれたすべての学生の力がこの映画には必要なのだ。

映画の中に登場する「人物」というのは、たとえ一瞬しか映像には映らない、或いは声だけしか登場しない、ということであっても、その全員がそこに「当たり前」に存在していなければならない。そこに登場する全ての人物が、それぞれの人生の主役であり、どの人物をとってもそこでひとつの物語ができるような存在でなくてはならない。「フレームを埋めるためにただ横切る」わけでは決してないのだ。

さらにその後12日に再度演出部で会議、ほとんどの学生キャストが固まった。

彼らひとりひとりの持っているものを、どうやってこの映画に反映させていくか。
同時に、この映画に関わることが少しでも彼らの成長につながったということにしていかなければいけない。
と言うか、ひとりひとりが確実に何かを獲得し成長していって欲しい。

全員参加の北白川派。
それがこの映画を立体的に創りあげていく。

生き残る

ブログ管理人の歓ちゃんから、映画のことだけでなく「わたくしごと」も書け!と言われているので「わたくしごと」まで書くと…老親たちの介護や東京でのもろもろがホントに思うようには進まず時間や体や脳みそがいくつあっても足りない…。しかも体も脳みそもあきらかに経年劣化を見せているしね(笑)。
ってまあそんなことはやるしかないのでひとつひとつやるだけなのだが、それやこれやを掻い潜りながら映画のための取材資料を見直したり新たな取材をして脚本の改訂を急ぐ。

で、昨日また新しい資料に出会う。
関東大震災の際の写真。非公開の、というかまったく個人的な写真。まさに死屍累々の。

3.11も同様だが、我々はこういった事態を前に言葉を失くし無力感に支配される。映画や文学などといった表現は有効性を失い何もできないのではないかという議論が必ず出てくる。
いやそうではないと思う。
それでも概ねの人々は「生き残り生きていく」のだから。僕は「生き残り生きていく」のだから。
目を見開き耳をそばだて「生き残り生きていく」人々に向き合い見つめ続けることが表現なのだと思う。
死者たちを忘れ去るということでは決してなく、それをただの「悲劇」で括ってしまわないためにも。

災害や事故だけではなく人はいつか死ぬ。愛する人々の死に会う。生き残る人に何かが残されていく。その人もいずれ死ぬ。そしてまた…。

僕の父は絵描きであるが身体を悪くしてずっと絵筆を持てないでいた。
それが最近、また絵を描き始めようとしている。いくつものキャンバスに下塗りをしている。

人はなぜ生きようとするのだろうか。
表現とは何なのだろうか。

ああ、なんだかバラバラな文章になっちゃったな…。ブログ用の文章ってどう考えればいいんだ…。

このブログの始まり

有吉さんのページ(TSUKASA ARIYOSHI)で、僕との出会いに関して有吉さんが語ってくれている。
そこで僕の「何よりお客様に映画を届けることが重要」という感覚について書かれてあるが、最初からそういった感覚が僕の中にあったとは言えないだろう。むしろ、『愛してよ』という作品の配給宣伝に関わることによって(普通は監督がその領域まで踏み込んでいくことはないのだが、そのときは「コンパクト」な映画であったこともあり、何故か有吉さんに言われるままに僕は毎回宣伝会議に出席していた)、有吉さんからそれを学んだということだと思う。

そしてその「感覚」こそが映画にとってとても大切なものであり、学生たちにもっとも欠けているものであると思えたので、有吉さんをこの学科に誘った。

そのときに話し合ったのは、ここでただ「今の配給宣伝のノウハウを教える」のではなく、学生たちとある種の試行錯誤を繰り返しながらこの先につながっていく「新しい配給宣伝の形を見い出していく」ことができないだろうかということだった。
そのためになら自分が学校に行く意味があるだろうと有吉さんは言った。挑戦したいと。

北白川派作品『MADE IN JAPAN こらッ!』『カミハテ商店』さらに『彌勒』と、そのチャレンジは続く。

『正しく生きる』での新たなチャレンジのひとつがこのブログだ。

シナリオ改訂の経過すらも含め、製作過程をオープンにしていく。
そのことが引き起こす反応をさらに映画の内容或いは配給宣伝の中に反映できないだろうか…制作ノート的なことを同時進行で書き込んでいくブログは過去にもあったがシナリオまでオープンにした映画はなかったんじゃないか…撮影前に映画館からの書き込みがあったりすると面白い…。
それがホントにそんなに新しいことなのかと言えばさほどのことでもないのかもしれない。ただ、やったことがないことはやってみなければどうなるのかどうなのかなんて誰にも何もわからない。
そしてこのブログが、いまそこまで機能しているとは言えないのも確かだ。

でも我々のトライはそこに、何か少しでも新しい形を発見することへと向かっていく。