「わかりやすい映画」「見やすい映画」は退屈でつまらない。
映画で本当に何かが「伝わる」のだろうか。
映画は「メッセージ」や「観念」を「理解してもらう」ためのものでは決してない。そんなものを「伝えるツール」では絶対にない。
そう思っている。
映画は人間を描く。
僕にとって「人間」や「世界」は未だ不可解なものであり解釈不能なものであり、であるからこそそこに想像と考察そして発見の喜びが存在する。
想像と発見の喜びがそこにあることが映画の豊かさであると思っている。
だから僕は「わかりやすさ」や「観やすさ」を映画に求めない。
想像させること。
発見させること。
そんな映画をつくるためには、僕たち自身が想像し続け考察し続けることをしなければならない。
僕たちは、人間や世界について何も知らないのだから。
「今の観客は想像しないのだよ」とよく言われる。
では僕たちは僕たちの映画を諦めるのか。
セミオールの前夜、僕と編集の鈴木歓は、ほんのちょっとした編集作業を行うことで、それまでは想定していなかった物語がそこに立ち上がることを発見した。
映画の相貌が立体的に動き出した。
そんな喜びを観客と共有したいから僕たちは最後の最後まで諦めない。
今日がオールラッシュである。