岸部一徳さんが本日にて終了する。写真は現場の一場面だ。
柄本さんにしろ、一徳さんにしろ、了解も無く勝手に写真をアップしていいものか躊躇うが、しかしここは私的な雑談の場として許してもらおう。
もしも事務所からクレームが来たら、謝るだけだ。
「すみません」は有り難い言葉だと、これはヒロキ君から教わった。
あ、遥役の紗月ちゃんだけは事務所にちゃんと写真掲載の確認を取っている。なんせ子供だからね。
さて、写真の岸部一徳さんと言えば、昨日電車の中のシーンを無事に終え、あとは本日午後からのお弁当屋さんのシーンで全て終了となる。
演出部も制作部も撮照録部もそして俳優部もひと山を越え、今はホッとして下り坂を降りているところだろう。
しかし、山登りは下山こそ注意を払うのが鉄則だ。踏み石を一つ転がせば、雪崩となって先を降りる者たちに思いもかけないアクシデントをもたらすからだ。
昔、こんなことがあった。
お芝居の旅公演で九州初日を終えて大阪公演までの移動の間、中国自動車道で舞台美術満載の4tトラックが横転した。
死人こそでなかったが、全治1年ほどの者が2名出た。
夏と冬バージョンのある時代劇劇映画、困難を乗り越え夏バージョンを撮り終えた。冬までの撮影に2ヶ月ほど空き、それぞれのパートは冬の準備に明け暮れていた。そんな中、主役が死んだ。電車の事故だった。
この二つのケースともに僕は立ち会っている。
だから、監督のラストカットのOKを聞くまでは何も信用できない。
自分の芝居も含めてだ。
長くなってしまった。岸部さんに話を戻そう。
僕は岸部さんの送り迎えをしている。朝はいつも変わらない。
「おはよう」と挨拶をしてくれて後部座席に乗り込む。
窓の外を向いている時は、芝居の事を考えている時だろうと勝手に推測し、話しかけない。
いや、事務的な事以外はめったに僕からは話しかけない。でも、帰り道は少しだけ明日の事やたわいない話をしてホテルへ向かう。
昨日は一徳さんも山を越えたと思ったのだろうか、初めて芝居について聞かせてくれた。
「京都で撮影している時以外は何をしてんの?」
一徳さんが尋ねてきた。
「若い奴らに授業で芝居を教えているんです。ホント僕なんかが、って思いますけど」
「へえ……。難しいだろ。芝居を教えるって」
「はい。試行錯誤しながらなんとかやってます」
「芝居はこうだといっちゃいけないもんね」
「は?」
「いやだって、芝居って役者の数だけ方法があるから。それを見つけていくのが役者だから。こういう考え方もあるよって言わなきゃならないでしょ。たくさん学生がいたら一人一人違うところを見つけてやらなきゃならないし、大変だよね」
「(絶句)……」
車は今出川通りを左折した。僕は演技に関して聞いてみた。
「そうだね、監督がOKにしようか、”もう一回”って言おうか迷うくらいの芝居がちょうどいいね」
「え?」
「いや、そんな場合もあるって事だよ。いつもじゃないよ」
「でもOKを狙いますよね、普通」
「そうだけど、それだと本から何も変わらないんだよね」
「そ……そうですか」
車のスピードはいつのまにか30キロくらいになっていた。後続車のパッシングで再びアクセルを踏む。
「いつもそんな事を考えて芝居されているんでしょうか?」
「う〜ん、でも狙ったらダメになるから」
「ですよね、普通は頑張りますもんね」
「そうだね。でもあまり頑張っちゃいけない。というか、達成感を求めちゃいけない」
「達成感?」
「ほら感情が溢れ出るような、達成感のある芝居を求めちゃうだろ役者って。本を読んでここはこうだろうって決めちゃうんだよ。達成感のある芝居に向かって。でも実はその時点でスタイルに陥っちゃってるよね。ホントは無から始まらなきゃいけないはずなのに」
「はあ……」
すでに車は丸太町通りに入っていた。御所を越えれば宿泊先だ。
「スタイルに陥らない、って難しいですよね」
「そうね、役者って難しいね」
そう言って岸部さんは窓外を見始めた。
送り届けてからの帰り道、そう言えば岸部さんは現場に台本を持ってこない事が多いと思った。
特に最近は手ぶらで車に乗り込でいた。
車の中でセリフをつぶやいているのも見た事が無い。もちろんNGを出した事もない。
台本を開いているのを見たのは一度だけだ。しかも控え室で。
その場面は自分のアトリエで女子大生桜と最期の作品を作るシーンだ。セリフはさほどない。
だが、じっと眺めるように活字を見ていた。
柄本さんが言っていた。
「ありゃ日本一の役者だ」と……。