来期シラバスの作成が迫っている。
WEBシラバスなるもので、昨日、諸々の仕事を一日休みにして必死になって取りかかった。
伴明監督も歓さんもタイムアップに間にあわず作成中のシラバスが消えたと嘆いていたので。十分注意して作成し始めた。が、後少しのところで消えてしまった……。
あと一歩のところだった。
こんな事を書いても学生たちはピンと来ないだろう。
しかし分かる人は,笑っているに違いない。
シラバス作成、おそるべし。
KITASHIRAKAWA-HA No.5
来期シラバスの作成が迫っている。
WEBシラバスなるもので、昨日、諸々の仕事を一日休みにして必死になって取りかかった。
伴明監督も歓さんもタイムアップに間にあわず作成中のシラバスが消えたと嘆いていたので。十分注意して作成し始めた。が、後少しのところで消えてしまった……。
あと一歩のところだった。
こんな事を書いても学生たちはピンと来ないだろう。
しかし分かる人は,笑っているに違いない。
シラバス作成、おそるべし。
水上ゼミ(ホントはゼミじゃないんだけど)の舞台公演が始まった。
今期はなんと三本の作品を発表した事になる。
一年で三本、と驚くのは、つまり三本やる予算がないからだ。
そりゃ機材や場所はタダでもチラシを印刷したり、小道具や美術の塗料は普通にかかる。
だが、今期のチームは三本をやり遂げた。予算の出っ張りは前回お客様から頂いたカンパを足してなんとか綱渡りを成し遂げたのだ。
さて、その作品の出来はいかに? アンケートを見れば良いも悪いもあるようだ。
いつもことあるごとに学生に言っているが、僕が師と仰ぎ尊敬している原田芳雄さんは、かつてこんな事を言ったことがある。
「”ものづくり”には、断念がつきまとう」
どういう意味かと言えば、つまり、”ものつくり”は常に時間の制約の中で創られるという事だ。
もっと時間があればもっとデティールを作れるのにとか、もっと稽古を積めば演技もうまくなるだろうに、とか。
しかし時間の制約の中では、理想と現実のギャップがあっても結局断念せざるを得ないということだろう。
ただ、今になれば、この言葉の後にどんな言葉が続くかがもっとも重要だったに違いない。
「〜断念がつきまとう。だから……」
だから……なんだろう。
何か言われたような気もするが、何を言われたのか、今となりゃまったく覚えちゃいない。(><)
あ、芳雄さんのこんな言葉も思い出した。
「考えすぎる毛虫は 蝶になれない」
意味はまた今度……。
俳優仲間の榊英雄 君からMAILが届いた。 四月に京都で映画を撮るのだと言い、協力して欲しいとの事である。
榊 君は北村龍平監督作品にずっと出ていた俳優で、そのバイタリティから自らが映画監督するまでになった男だ。
出演者には旧知の役者さんも名を連ねていて、僕ももちろん参加したい旨を伝えて送った。
さらに、うちには若手がゴロゴロいるからと言うと、是非あてにさせてもらいますと再びの返信も送られてきた。
俳優コースの若者達は,めざましい成長を遂げている。
そしてその活躍する場は,既に校舎を離れてプロの現場へと動き出している。
この『正しく生きる』もそうである。
メインキャストはもちろんだが,脇を固める役者がどれほど大切でどれだけ作品の骨となって物語を支えるかを知る筈だ。
そしてその役を勝ち取る厳しさは,東京に出てから砂を齧る様に苦しみながら実感するのだ。
だが若者達よ,今のうちに言っておく。
苦しみとか苦労とか,挫折とか焦燥とか,人生を生きて続ける事に比べりゃ屁でもなくなるということを……。
LOOPERを観た。
ネットの前評判が良かったので楽しみにしていたのだが、期待してたほどじゃなかった。
内容を語れないのは残念だが、途中から必死にLOOPの意味を考えながら観始めていた。
物語って現在進行している疑問以外をあれこれ想像させるように作っちゃいけないよね。
ひっかけか伏線かを巧妙に考えてあるのかもしれないが、結末のインパクトには小賢しい枝葉となって邪魔になる、そんな映画だった。
あ、でもまずは映画を観てちょうだい!
携帯でブログを書いていたら、漫才の稽古のコメントが消えてしまった。
京都に帰ったらやり直そう。
ただいま、「カミハテ商店」舞台挨拶のため富山に移動中!
本日が「正しく生きる」リハーサル最終日となる。
昨年末からキャスティング選考の為のリハを繰り返して来た。
僕はほぼ全てのリハに付き合ったが、やはり稽古を重ねると芝居は上達するものだ。
それぞれの個性も見え始めたし、各々が脚本読解し、行動分析してきた結果も垣間見れた。
僕もそうだが、多くの役者は稽古を積めば積むほど自分がどれだけ不器用で思い上がり屋かを知る。
一言一言の自分のセリフが嘘くさく聞こえ、芝居をしている自分が信じられなくなってくる。不安との戦い……そんなものだ。
さて、ここのところずっとリハを観て来た感想を書いてみたいと思う。
芝居をよく考えているとは思う。しかも達者な表現を柔軟に生み始めたとも思う。
しかし、何かが足りない。いや、多いと言った方が良いかも知れない。
何が多いか、それは芝居の中での逡巡、あるいは感情の待ちである。
そんなものは台本には書かれていない。感情は即座に変わりゆく筈だ。
人間の頭の中は考えているよりずっと早い。感情が出てくるのを待ってちゃいけない。
感情などは二の次だ。
次から次へと行動を考えるのである。
視線、姿勢、呼吸、つま先から指先まですべてが行動である。
誰かがしゃべるから見る。何かが動いたから振り返る。目が合ったから笑う。笑えば声が出る。
芝居は感情からではなく、行動からだとスタニスラフスキーもあらゆる演技教本もジェームズ=ランゲ説を挙げて伝えている。
「おかしいから笑うのではなく、笑うからおかしいのだ。悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ。怖いから逃げるのではなく、逃げるから怖いのだ」
本日最後の選考リハーサルでは、行動の瞬発性、発想の自由さ、そして相手の芝居を利用した者だけが勝ち残るだろう……。
本日から大学では専門科目授業が始まった。
僕の担当するゼミ(舞台公演発表)の学生たちも一年の垢を落とし、帰省先から戻ってきた。
中にはこんなお土産を持ってきてくれた者もいる。ワンカップである。
日頃からワンカップの似合う男になりたいと思っていたが、差し出されると照れくさいものだ。
机の上に置いていたらまるで死んだ人にお供え物をしている気になってきた。
一刻も早く飲まなくては……。
レ・ミゼラブルを観た。
帰りの車の中でふと歌ったら、五秒後には妻に怒られた。
余韻を汚したようだ。
しかし、僕の歌も余韻だった。
頭の中には手を差し伸べるAnne Hathawayが出つつあった。
怒られた瞬間にすっと消えた。そして頭の中にあがた森魚さんのような顔がフラッシュした。
物語は誰もが知るレ・ミゼラブル、この映画の良いところは歌わない者が居ないという事だろうか。どんだけ稽古したらこんな作品が作れるのだろう……。
死ぬ前にいっぺん出てみたくなった、そんなミュージカル映画。
正月はよく酒を飲んだ。
普段めったに飲まない日本酒をぐいぐい飲んだ。
潰れては寝て、起きては飲み、そしてまた眠った。
このブログを見た人は、他のスタッフたちがこんなに忙しく動き回っているのに水上はいったいこの福岡組で何をするんだと思っているに違いない。
僕は俳優なのだ。
そもそも僕はこの大学で俳優の育成をしている。そしてその中から将来のスターを作るのが役目である。
この作品では出演もさせて頂くが、演技ジム的な俳優のスケジュール管理を中心に動く事になっている。なので今はあまり忙しくないというわけだ。
今日からはこのブログが一番の仕事になるかもしれない。
僕がリハーサルで感じた事、若い俳優たちが監督やスタッフに言えないで相談してくる事を、ここで暴露したいと思っている。
あとはその日にあった出来事をちょっとだけつぶやいてみようかなと考えている……。