前々回のブログで1年生が映画をつくる授業のことを「映画製作Ⅸ」と書いていたが、正しくは「映画基礎Ⅸ」の間違いだった。
その基礎Q実習もようやく昨日終了し、今日から教職員は休みに入った。
先生方、大変ご苦労様でした!
KITASHIRAKAWA-HA No.5
前々回のブログで1年生が映画をつくる授業のことを「映画製作Ⅸ」と書いていたが、正しくは「映画基礎Ⅸ」の間違いだった。
その基礎Q実習もようやく昨日終了し、今日から教職員は休みに入った。
先生方、大変ご苦労様でした!
高原では春の終わりにハナミズキの花が咲く。
写真は僕が見た六度目の賑わいだ。
北白川派映画も僕の着任と期を同じくして第一回目が始まったから、今年で六作品目に突入する。
と同時に四作品目にあたる林海象監督の「弥勒」がいよいよ満を持して公開する。
この五年、映画づくりってホント大変だなと実感させられ、また必死になってひっついてきた学生たちを何人も社会へと送り出した。
毎年必ず咲くハナミズキだが、今年はいつもより早く咲いた……。
映画基礎Qというのは授業名で、1回生が映画を作ってみるというものだ。本当の科目名は「映画基礎Ⅸ」である。
この授業、ちょっとおもろい。
昨年まではGWの時期に1年生全員で京都の山奥、花背山自然の家に合宿して食事を作ったり、バーベキューをしたり、先生方の映画を見てはちょっと講義を聴いたりする授業だったのが、今年からのコース改編により1年生全員参加でまずは映画を作ってみようという授業に変わった。
映画の作り方も脚本の読み方もスケジュールの立て方も機材の扱い方もスタッフィングも演技も何もかも、教える前にやらせて失敗させる、何ともある意味贅沢な授業なのである!
失敗作品や未完成作品を作らせるのに時間と多くの教員が動いているのだ。これ以上贅沢な事は無い。
失敗をハナから予測しながら、その10分程度の脚本はなんと、「あなたへ」(主演:高倉 健)などを手がける青島武先生の最新オリジナルである。(本学客員教授)しかも、青島さんは自分の脚本を勝手に改訂しても良い、好きなように弄って跡形もなくなったって構わないと、そんなことまで言ってるのだ。
ちょっとお前ら1年坊、この映画製作Qがどれだけ凄い授業か有り難みを持った方が良いぞ。
我々にじゃなく、一生に一度あるかないかの自分自身の贅沢にだ。
準備日に遅刻や欠席している場合じゃない。
自分のチャンスは自分で護れ!
死ぬ気でやれ!
撮影はこの共通の台本を基本に専任教員である監督たちが四班に分かれて指揮を執る。
指揮と言っても聞かれた事に答えるくらいだ。なんせこっちとら失敗させねばならないんだから。
これが脚本も良い、撮影も演出も良い、なんて事になったらたまったもんじゃない。
さっさと退学してもらうしかなくなるだろう。
学生たちは、高橋伴明監督チーム、伊藤監督チーム、山本監督チーム、福岡監督チームに別れてすでに準備に動き出している。
そして僕は、福岡チームの副指導員として失敗させる使命に燃えている。
まあ、そんなわけで、今年もGW返上で学生に映画製作に付き合う事になりそうだ。(><)
新学期が始まってガイダンスやら授業計画やら忙しさにかまけてブログが止まってしまっていた。
だが、今日から再びブログを再開しようと思う。
まずは映画学科高原校舎での舞台公演に関して紹介しよう。
Theater A・studio 舞台公演!
鈴木歓先生の「映画演出Ⅳ」のブログを読んで。
こりゃ凄い授業だ。劇場公開映画の、しかも自分の関わった映画の編集を一からやれるなんて、しかも編集の先生からのアドバイスを受けながら、自分なりの映画を作れるなんてどこの学校でもやってないはずだ。
歓さんのブログには「全ては登場人物を生き生きと動かすことから始まります。登場人物たちが傷つき、悩み、考えることとあなたの想いが重なることから始まります。」とある。
劇映画撮影が机上の物語から生み出す仮想現実ならば、映画編集とはその仮想現実から生み出す想像への追求とも考えられるだろうか。
しまった。こんな事を書けば、歓さんや監督から「知ったかぶりすんじゃない、バカヤロ!」と怒られるかもしれない。
けど、僕は編集の先生ではないからあえて学生気分で続けてみる。
僕はこの大学に来るまでは俳優と脚本しかやってない。ところが、ここのところ表方も裏方も経験するうちに徐々に感じ始めている「編集」と「演技」という二つの領域について考えてみる。
まず、演技とはすべからくシナリオを基にする領域である。
シナリオにはセリフがあって、俳優はそのセリフにいかに真実味を持たせ、つまりどれだけリアルに演ずるかが醍醐味なわけで、そのシーンのセリフ、行動には常にサブテキストという登場人物達の真実の胸の内が隠されていると捉えている。
そのサブテキストとは、つまり観客が持つ筈のイメージ(想像)である。これは決して役者の説明ではない、観客がそうなのだろうと察する想像力の事だ。
その想像を導く為の演技はとてつもなく高度な技術を要するもので、隠された真実をあからさまに観客に説明した時点で、観客の想像は一切消えてなくなり単なる説明として終わってしまう。
であれば、観客が自由に想像を膨らませる為には、俳優は常に心情の説明を隠し通さねばならないわけだ。
では編集はどうだろう。
もし編集がその隠し通した演技を見抜く作業であって、セリフには書かれていない心の内を見事に作り出してしまう手品のようなものならば、きっとこの「映画演出Ⅳ」は恐るべき手品師を養成する為の、実に愉快で貴重な授業となるに違いない……。
4回生が卒業した。
中には「正しく生きる」に参加してくれた俳優コースたちもいて、夜には謝恩会から僕には珍しく2次会まで顔を出し、あげくにはお開きまで居残った。
それだけ色んな思いを脳裏に巡らす学生たちだった。
さみしくないと言えば嘘になるが、春にはまた新たな学生が現れると思えば、むせそうな胸の内もおさまりそうだ。
次の大西や土村、ぎぃ子や仙洞田、萌や航らのような味のある役者は出てくるだろうか。
育てるのはおまえの役目だろ、と言われそうだが、作り出すのは僕じゃない。
あくまで本人が努力してその時の”自分”を見つけ出していくものなのだ。
俳優ってそんなもんだ。
イバラの道だと良く言うけど、僕には痛くもかゆくもなかったね。
何をやっても楽しかった。毎日続く工事現場のアルバイトも金がなくての同棲生活も喧嘩も飲酒も多重恋愛も、芝居の稽古や本番があったからいつも満ち足りていた。足りないと言えば金だけで……。
社会に出る君らに告ぐ。
映画に出てくるような巡り合わせやチャンスってすぐにゃ来ないよ。
でも貧乏でも続けていれば必ず良い事だってあるもんだ。
僕の場合、幸福感を些細な事で感じられるようになったことだ……。
高原校舎が停電している。
にも関わらず、今日は午前中から研究室で溜まっていたメールの返信やら学生面談やら慌ただしく過ごす。
と、あろう事かメール文作成中に簡易電源に足を引っかけてシャットアウト。
その後にたこ足コンセントの不具合でシャットアウト、今日はもうこの事をブログに書いたら家に帰る。
只今、若松孝二監督遺作「千年の愉楽」が京都シネマにて上映中。
僕と4回生の大西礼芳が出演しています。
皆様、お見逃し無く!
昨日、福岡組は無事実景を撮り終え、全てにおいてオールアップした。
しかしこのブログに関して言えば、撮り終えた素材がいつの日か作品へと変わるまでさらに更新を続けていかなければならないと思っている。
つまり、ブログにクランクアップはないかもしれない。
当初はどれだけ忙しくなっても面倒になってもできる限りアップしなければいけないと使命感に燃えていた。
なぜなら、こんな事でもその積み重ねがいずれ配給にも繋がると信じたからだ。
実際、スタッフとして関わる学生以外の人たちからも「いつも読んでますよ」とか、「次の福岡組、面白そうですね」なんて言葉を貰った。その度にくじけそうな心も弾けとんだ。
現場ではどんな事が起こっているのか、今日は何があったのか、運転と雑用に走る僕には現場がどうなってるかはわからない。ほぼ98%現場を覗く事はできなかった。
だがそれでも身近にいる出演者や学生スタッフの顔を見ていれば今日の撮影がうまくいったか否かは想像できた。
現場を見れなかったのは僕だけではない。プロデューサーも制作主任も制作部も皆現場に何が起こっているのかなんてトランシーバー越しでしかわからない。シーバーを持ってない者は想像するだけだ。
しかし、映画ってそんなものだと思う。「本番行きます!」の声に車に向かって走り始める制作部。
「すみません、いまこの先で映画の撮影をやってまして……」
ペコペコ頭を下げて車を停めても運転手は次第に不機嫌になって罵声を浴びせ掛け始める。
「すみません、すみません。もう少しですから」
どれだけ謝ってもやがて車は動き出す事もある。
見ていて胃が痛くなる光景だ。彼ら制作部は現場でカメラやカチンコを鳴らすスタッフと同じだけ命を張って働いている。
これが映画だ。
映画はいつの間にか出来上がったりはしない。多くの人たちのまさしく血と汗と涙の結晶によって生まれるものだ。
おっと、写真の二人の事を忘れていた。
少年院から逃亡した朝雄役 浜島正法とその彼女である未夢役 杉本瑞季。
二人の現場がどうだったかも僕は知らない。
ただ、この打ち上げでの二人の表情を見ればどれだけ必死だったかは想像できる。
これが、映画だ……。
漫才シーンで日々頭を悩ませていた朝雄役 浜島と裕樹役 周作の二人。
彼の師匠は中央の男、堰さんである。
この堰さん、ちょっとおもろい。
一見、新宿の立ち飲み屋で見かけそうな人だが、実は映像作家だったり吉本の芸能部だったり多才な人だ。
しかも今回は漫才指導だ。
ネタ見せではこの堰さんから何度もダメだしをくらい一時は這い上がる事ができないほどドツボに落ちた浜島&周作だった。
その時からしばらく顔を見せなくなった師匠。
小魚を煮るとはこの事だろうか。ひっくり返しすぎれば身を崩す。
身が崩れる手前で上手に手を止めていた。
終わり良ければ全て良し。
漫才シーンのOKを一番喜んでたのはこの師匠だったに違いない……。
この続きは明日のブログで。(**)/
3月5日、残すは実景だけとなって実質クランクアップした。
監督からはこの映画は未曾有の大震災を強く連想させる作品である。
今一度初心に帰り、この映画を作ろうとした意義を皆さんにもう一度考えてもらいたい、との言葉があった。
その後は今まで関わったスタッフ、俳優で打ち上げに。
宴は朝方まで続いたそうだ……。
写真は乾杯の音頭をとる福岡監督。
昨日は2013大阪シネマフェスティバルのゲストとして参加してきた。
監督賞を受賞した故 若松孝二監督を忍ぶトークイベントの為である。
この映画祭で「カミハテ商店」は何と主演女優賞(高橋惠子さん)、新人監督賞(山本監督)、音楽賞(谷川賢作さん)の三冠を受賞した。
中でも印象的だったのは惠子さんのスピーチだ。
「芸能生活において初めての主演女優賞は、本当に何よりも嬉しい賞です。この記念すべき賞は京都造形芸術大学映画学科の学生さんたちと分かち合う大切な宝物だと思っております。そしてキャストに推してくださったプロデューサーの高橋伴明にも心から感謝致します」
隠岐の島では毎朝惠子さんと共に朝早く現場に入っていた伴明さん、自ら赤色灯を振りながら車止めや人止めをされていた。
決して恵子さんの芝居を覗き見る事も無く、徹底して一人の末端スタッフを努めていた。
映画は多くの人々の熱い思いによって作られる。
カミハテとは別のゲストとして呼ばれた僕であるが、自分の出番が終わった後すぐに客席に回り、他のお客さんと共に手が痛くなるほどの拍手を送った。
三冠を穫った恵子さん、山本監督、谷川さん、おめでとうございます。
そしてこの作品に関わった全ての方々へも大きな拍手を送りたいと思います。
写真は、ロボジーと僕。
本物のロボジーがミッキーカーチスさんと共に登壇していた。
ちなみに、この鉄の着ぐるみ相当重いらしく、しかも、着るのに一時間はかかるそうです。
映画って大変だなァ……。
高原校舎に降りしきる雪。
4回生の集大成である卒業制作展も明日で終わりを迎える。
その最終日前夜、高原校舎の観客動員は100人を越えたそうだ。
教授陣のほとんどが北白川派で取られ、相談相手も居ない中、彼ら4回生は最後の意地を見せた。
同時に北白川派福岡組「正しく生きる」も物語の終盤を迎えようとしている。
今日もまた一人東京から来た俳優 宇野祥平さんがアップし、圭役の宮里紀一郎も自分の芝居部分を終えた。
あとは電話の声を残すだけだ。
そんな中、小さな少女が奮闘している。カピバラ人形を連れた紗月ちゃんだ。
カピバラは妹 つむぎちゃんの大切な友達で、そのカピバラはいつもお姉ちゃんの撮影現場のお供に来る。
紗月ちゃんは朝から少し咳き込んでいた。出番の声がかかり、お母さんも僕も「頑張ってね」と送り出すと紗月ちゃんは「うん!」と元気に車から駆け下りていった。
現場は狭くてお母さんも入れない。彼女はたった一人で撮影現場へと向かっていった。
しばらくしてお母さんが、「お茶をたくさん飲んだいたのでトイレを我慢しないように言ってもらえますか」
その言葉には気付かなかったが、本当は熱が出ていたらしかった。
それでも彼女は大人の中で一生懸命戦っていたのだ。
具合が悪いとか熱があるとか誰にも言えず、一人で耐えながら頑張っていたのだ。
頼りのカピバラもお母さんと一緒にカバンの中で心配していたに違いない。
結局、熱がある事に演出部が気付き、今日の予定を1シーン残して終了した。
先程お母さんに電話を入れた際、「まだしんどそうですけど、薬を飲ませて早く寝かせます。すみませんでした」との言葉。こちらが恐縮してしまう。
小さな子供が頑張っている。
大人が頑張れなきゃ、嘘だと思う。後少しだと浮ついてたら天罰でも下りそうだ。
実景を残せばあと三日、ラストカットの「OK!」まで各部一丸となって突き進もう。
改めて今日、映画に挑む姿勢を小さな子供に教えられた。
……雪は今もなお降り続く。
今日は最後の撮休、スタッフルームの「消し香盤」の白枠も残り少なくなってきた。
後はクランクアップまで突っ走るだけだ。
昨日の岸部さんのアップに続き、明日は弁当屋の店長役 宇野さんの終了予定。
残る役者は子役の紗月ちゃんとうちの若手たちだけとなる。
明後日3月3日は大阪シネマフェスティバルだ。
北白川派の2010年度期製作の「カミハテ商店」が主演女優賞(高橋惠子さん)、新人監督賞(山本監督)、音楽賞(谷川賢作さん)の三冠を受賞し、監督らは檜舞台へと上がることになった。
僕はと言えば、監督賞の若松孝二監督の代理で受賞する井浦 新君と共に若松監督を忍ぶトークショーに呼ばれている。
若松監督との思い出なんて、大した話を持ってないがやはりテストも無く本番を迎えなければならない辛さだろう。
「千年の愉楽」では僕が演じる泥棒の親玉と高岡蒼佑君らとで空き巣に入る場面、現場に呼ばれたかと思えば金庫の隠してある部屋の前で待たされていきなり本番。
部屋にもまだ入ってないからどこに金庫が隠してあるかなんてわかりゃしないし、スタッフだって教えてくれない。わざと教えないのではなくそれどころじゃないわけだ。
やがてカメラは回りだし、当然本気で探さなければ見つかりゃしない。
もたもたしてると案の定カットがかかり、「おまえら真剣に探さないから見つからねえんだ!」
そんな理不尽とも言える監督の演出はこればかりじゃない。
とにかく油断してると雷が落ちる。
呑気に出番を待ってなんかいられない。
控え室から常に本番体制でいなければならないのだ。
それは俳優だけじゃなく、長年若松監督作品に付き合っているスタッフにさえ怒鳴り散らす事もあった。
当時、心臓を患っていた監督だが、こんなに元気ならきっと自力で治すと思っていたのに、思いも掛けない事故だった。
生きていたら、今年も大作をとる予定だったと聞く。
もう一度、あの怒鳴り声を聞きたかった……。
岸部一徳さんが本日にて終了する。写真は現場の一場面だ。
柄本さんにしろ、一徳さんにしろ、了解も無く勝手に写真をアップしていいものか躊躇うが、しかしここは私的な雑談の場として許してもらおう。
もしも事務所からクレームが来たら、謝るだけだ。
「すみません」は有り難い言葉だと、これはヒロキ君から教わった。
あ、遥役の紗月ちゃんだけは事務所にちゃんと写真掲載の確認を取っている。なんせ子供だからね。
さて、写真の岸部一徳さんと言えば、昨日電車の中のシーンを無事に終え、あとは本日午後からのお弁当屋さんのシーンで全て終了となる。
演出部も制作部も撮照録部もそして俳優部もひと山を越え、今はホッとして下り坂を降りているところだろう。
しかし、山登りは下山こそ注意を払うのが鉄則だ。踏み石を一つ転がせば、雪崩となって先を降りる者たちに思いもかけないアクシデントをもたらすからだ。
昔、こんなことがあった。
お芝居の旅公演で九州初日を終えて大阪公演までの移動の間、中国自動車道で舞台美術満載の4tトラックが横転した。
死人こそでなかったが、全治1年ほどの者が2名出た。
夏と冬バージョンのある時代劇劇映画、困難を乗り越え夏バージョンを撮り終えた。冬までの撮影に2ヶ月ほど空き、それぞれのパートは冬の準備に明け暮れていた。そんな中、主役が死んだ。電車の事故だった。
この二つのケースともに僕は立ち会っている。
だから、監督のラストカットのOKを聞くまでは何も信用できない。
自分の芝居も含めてだ。
長くなってしまった。岸部さんに話を戻そう。
僕は岸部さんの送り迎えをしている。朝はいつも変わらない。
「おはよう」と挨拶をしてくれて後部座席に乗り込む。
窓の外を向いている時は、芝居の事を考えている時だろうと勝手に推測し、話しかけない。
いや、事務的な事以外はめったに僕からは話しかけない。でも、帰り道は少しだけ明日の事やたわいない話をしてホテルへ向かう。
昨日は一徳さんも山を越えたと思ったのだろうか、初めて芝居について聞かせてくれた。
「京都で撮影している時以外は何をしてんの?」
一徳さんが尋ねてきた。
「若い奴らに授業で芝居を教えているんです。ホント僕なんかが、って思いますけど」
「へえ……。難しいだろ。芝居を教えるって」
「はい。試行錯誤しながらなんとかやってます」
「芝居はこうだといっちゃいけないもんね」
「は?」
「いやだって、芝居って役者の数だけ方法があるから。それを見つけていくのが役者だから。こういう考え方もあるよって言わなきゃならないでしょ。たくさん学生がいたら一人一人違うところを見つけてやらなきゃならないし、大変だよね」
「(絶句)……」
車は今出川通りを左折した。僕は演技に関して聞いてみた。
「そうだね、監督がOKにしようか、”もう一回”って言おうか迷うくらいの芝居がちょうどいいね」
「え?」
「いや、そんな場合もあるって事だよ。いつもじゃないよ」
「でもOKを狙いますよね、普通」
「そうだけど、それだと本から何も変わらないんだよね」
「そ……そうですか」
車のスピードはいつのまにか30キロくらいになっていた。後続車のパッシングで再びアクセルを踏む。
「いつもそんな事を考えて芝居されているんでしょうか?」
「う〜ん、でも狙ったらダメになるから」
「ですよね、普通は頑張りますもんね」
「そうだね。でもあまり頑張っちゃいけない。というか、達成感を求めちゃいけない」
「達成感?」
「ほら感情が溢れ出るような、達成感のある芝居を求めちゃうだろ役者って。本を読んでここはこうだろうって決めちゃうんだよ。達成感のある芝居に向かって。でも実はその時点でスタイルに陥っちゃってるよね。ホントは無から始まらなきゃいけないはずなのに」
「はあ……」
すでに車は丸太町通りに入っていた。御所を越えれば宿泊先だ。
「スタイルに陥らない、って難しいですよね」
「そうね、役者って難しいね」
そう言って岸部さんは窓外を見始めた。
送り届けてからの帰り道、そう言えば岸部さんは現場に台本を持ってこない事が多いと思った。
特に最近は手ぶらで車に乗り込でいた。
車の中でセリフをつぶやいているのも見た事が無い。もちろんNGを出した事もない。
台本を開いているのを見たのは一度だけだ。しかも控え室で。
その場面は自分のアトリエで女子大生桜と最期の作品を作るシーンだ。セリフはさほどない。
だが、じっと眺めるように活字を見ていた。
柄本さんが言っていた。
「ありゃ日本一の役者だ」と……。
今日の俳優、水本佳奈子。
本日の撮影は水本演じる”桜”のクライマックスへ繋がるシーンだ。
しかし、盗撮はやはり難しいものだ。
監督と次のシーンの打ち合わせをしているところだが、緊張感が伝わってあと一歩踏み込めない。(足元に誰かの頭が写っている)
クソっ。電車やエスカレーターで盗撮するマニアはどんだけ図太い奴らなのだ。
さて、モニターで見るしかない水本は、岸部一徳さんとのやりとりも堂々と見えるし、こりゃ若手ながら大健闘だ。
このチャンスを足がかりに世の中に羽ばたいて欲しいものである……。
水本佳奈子、命かけろ!
ブームを操る俳優 坂口大季、彼の口癖は「すみません」だ。
頭を垂れる者に決して悪い奴はいない。
しかも3回生にして北白川派3回目はこの男だけだろう。
来期もし再び北白川派に参加すれば,パーフェクトな男として歴史に刻まれることになるはずだ。
北白川派を貫いた『すみません』のヒロキとして。
人柄に仕事は着いて回ると言うが、それが本当なら彼はきっと山の様な仕事を抱える俳優になっていくに違いない……。
頑張れ、ヒロキ!
制作部から俳優デブュした奥山哲正君。
本番前のリハーサルで仲間の傘が頭を突いても微動だにしなかったつわものだ。
きっと集中している彼には強い雨にしか感じなかったに違いない。
その日、半日で撮影が終わると、再び寂しそうに制作部へ戻っていった。
その後、山本プロデューサーからは本当か嘘か知らないが、俳優に転向してはどうかと勧められたらしい。
頑張れ、奥山!
君の未来は君だけが知っている!