本日が「正しく生きる」リハーサル最終日となる。
昨年末からキャスティング選考の為のリハを繰り返して来た。
僕はほぼ全てのリハに付き合ったが、やはり稽古を重ねると芝居は上達するものだ。
それぞれの個性も見え始めたし、各々が脚本読解し、行動分析してきた結果も垣間見れた。
僕もそうだが、多くの役者は稽古を積めば積むほど自分がどれだけ不器用で思い上がり屋かを知る。
一言一言の自分のセリフが嘘くさく聞こえ、芝居をしている自分が信じられなくなってくる。不安との戦い……そんなものだ。
さて、ここのところずっとリハを観て来た感想を書いてみたいと思う。
芝居をよく考えているとは思う。しかも達者な表現を柔軟に生み始めたとも思う。
しかし、何かが足りない。いや、多いと言った方が良いかも知れない。
何が多いか、それは芝居の中での逡巡、あるいは感情の待ちである。
そんなものは台本には書かれていない。感情は即座に変わりゆく筈だ。
人間の頭の中は考えているよりずっと早い。感情が出てくるのを待ってちゃいけない。
感情などは二の次だ。
次から次へと行動を考えるのである。
視線、姿勢、呼吸、つま先から指先まですべてが行動である。
誰かがしゃべるから見る。何かが動いたから振り返る。目が合ったから笑う。笑えば声が出る。
芝居は感情からではなく、行動からだとスタニスラフスキーもあらゆる演技教本もジェームズ=ランゲ説を挙げて伝えている。
「おかしいから笑うのではなく、笑うからおかしいのだ。悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ。怖いから逃げるのではなく、逃げるから怖いのだ」
本日最後の選考リハーサルでは、行動の瞬発性、発想の自由さ、そして相手の芝居を利用した者だけが勝ち残るだろう……。
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